分子振動領域の自由電子レーザーによる生体反応


大阪大学大学院工学研究科 教授 粟津 邦男 氏


自由電子レーザーについて

 自由電子レーザーは1980年代アメリカで誕生し,その生い立ちは非常に複雑なものがある。当時,戦略防衛構想計画(SDI: Strategic Defense Initiative)をレーガン大統領が提唱し,年間約3000億円程度の予算で兵器として開発されたのが起源であった。その後,冷戦の終結とともに自由電子レーザーの応用についての議論がなされるようになった。自由電子レーザーの大きな特徴は2つあり,一つは非常に大きな出力を持つことである。もう一つの重要な特徴は,従来のレーザーでは難しい波長,たとえば極短波長から非常に長い赤外の波長までを発生できることである。

 現在,世界には約10カ所自由電子レーザーの施設があり,たとえばスタンフォード大学のFELセンターでは主に赤外の自由電子レーザーを発生させている。日本にも自由電子レーザーの施設があり,通産省の概略団体治安技術センターが70%,民間企業が30%を出資しており,関西学研都市津田地区の津田サイエンティフィックに建築されている。この基板技術促進プロジェクトが2000年4月に終了し,その後大阪大学の自由電子レーザー研究期間として発足している。図1に施設のレイアウトを示す。

 自由電子レーザーの原理を以下に簡単に説明する。電子銃からパルス状の自由電子を打ち出し,これを加速管で光の速度に近いところまで加速する。そのとき電子の軌道を,アンジュレーターと呼ばれる周期磁場を発生させるデバイスで急激に曲げ干渉させることでレーザーを発振させることができる。大阪大学の施設では,アンジュレーターは5つあり,0.23mm〜100mmまで対応しているため,紫外域から遠赤外域までの波長を発生させることができる。


図1:大阪大学自由電子レーザー研究施設


 図1において,モニタールームで発生した自由電子レーザーの強度や波長のクオリティーをチェックし,実験者はユーザールームにおいて好みの項目を選択して実験が可能である。なお,以下で述べる分子振動の領域では,数mm〜10mm程度の波長を用いている。


図2:医療の診断に用いられているレーザーの種類

 図2は医療の診断にどのようなレーザーが用いられているかを示している。横軸が波長で,上段がパルスレーザー,下段がCWレーザーについて表している。炭酸ガスレーザーは最も長波長側に位置しており,これはパルスについてもCWについても非常に密である。波長が1〜3mmの部分にはYAGレーザーが位置しており,そこから波長が短くなるにつれ半導体レーザー,イクシマレーザーとなる。半導体レーザーは現在はCDのピックアップや光素子用に用いられ,医療への応用が期待されている。

 イクシマレーザーの応用としては,アメリカではすでに巨大なマーケットとなっており,また日本でも2000年に厚生省の認可が下りた近視手術が代表的である。ここで,レーザーの医療応用に関する問題点として,特定の波長が要求される場合にもそれを与えるレーザーが存在しなかったことが挙げられる。ところが,自由電子レーザーを用いると,任意の波長を選択して応用できることが利点となる。

自由電子レーザーのバイオ医療分野への応用

 バイオ医療分野において,自由電子レーザーは生体細胞組織における3つの反応,すなわち光化学反応,光熱反応,光衝撃反応を各生体組織(臓器,細胞,DNA)レベルで制御できる可能性を持つ。さらに,その結果として

  1. 瞬時におこるアブレーションなどの物理的現象
  2. 時間遅れのある凝固などの現象
  3. 長時間での治癒・改質

の効果が期待できる。さらに,すでに述べた自由電子レーザーの非常に短いパルスも重要な役割を果たしている。パルスとパルスの幅が非常に短くなると,熱的な効果よりも機械的な効果が大きくなってくる。すなわち,温度を上昇させずに患部の治療や診断が可能になることを意味している。
 
 以下では,自由電子レーザーの具体的な応用例について説明を行う。特に赤外域での波長可変性及びピコ秒のパルス性を活かし,対象の特定の振動吸収を個別に励起することにより可能となった生体成分の選択的除去,硬組織の表面改質,細胞内への分子導入について説明を行う。

自由電子レーザーによる象牙質の改質

 図3は歯の代表的な組織を示している。歯は表面がエナメル質,その下に象牙質があり,歯茎,セメント質と大きく4つに分かれている。虫歯の状態とは,エナメル質がとれて象牙質が表面に現れている状態のことである。エナメル質と象牙質も材料的には非常によく似ており,どちらもハイドロキシアパタイトの結晶構造に似ている。

 相違点はエナメル質が結晶性が高く,象牙質はアモルファスに近いという点である。虫歯になったときに,アモルファスに近い象牙質をエナメル質に変換できれば非常に好ましい。この作業は材料工学でいうとアニーリングに相当し,表面温度をできるだけ上げずにアニーリングするために自由電子レーザーが注目されている。                                 
 

図3:歯の代表組織
       図3:歯の代表的組織

図4は,象牙質に自由電子レーザーを照射前と照射後の赤外吸収スペクトルを表している。図より,照射前の吸収ピークは9.57mmであるが,照射後は8.94mmにシフトしていることが分かる。照射後のピークはエナメル質のピークと同じであり,このことは象牙質に自由電子レーザーを当てることでエナメル質に変質したことを意味している。 この変質メカニズムは,自由電子レーザーを照射することにより,アモルファスである象牙質からリン酸が外部に出され,結晶性が上がるためと言われている。


動脈硬化治療への応用

 上の例は硬組織に対する応用例であったが,次に軟組織に対する応用例を示す。目的は動脈硬化の安全な治療方法である。図5にウサギの血管の断面図とその赤外吸収スペクトルを示す。

 図中,上は正常な血管を表しており,下は動脈硬化部の血管である。これらの,各部位N, A, Cについて赤外吸収スペクトルを取ったものが下のグラフである。Nは正常な血管部,Cは動脈硬化を起こした血管の血管部,Aは動脈硬化を起こした血管の動脈硬化部である。N, A, Cで共通のピークは,血管と中膜の弾性繊維,すなわちタンパク質の部分になる。一方,Aには波数で1738,波長では5.75mmの部分に特徴的なピークがあることが分かる。この5.75mmという波長は,CとOの伸縮振動に対応している。

 従来の研究はこの時点で終了していたが,ここではこの波長を持つピークのみを選択的に変質させることを試みた。動脈硬化部分はコレステロールが蓄積していると言われているが,実際にはその90%がオレイン酸と結合しコレステロールオレイトという物質になっている。そこで,波長5.75mmの自由電子レーザーを用いたモデル実験を行ったところ,コレステロールオレイトを選択的に除去が可能であった。そこで,ウサギの血管を使って実際の照射実験を行った。その結果,5.75mmの波長を持つ自由電子レーザーをマイルドに照射することにより,コレステロールオレイトのみが除去されて,他の組織が正常に温存されることが分かった。

     図5:ウサギの血管の断面図と赤外吸収スペクトル


今後の展望

 振動励起という概念は昔からあったにもかかわらず,安定した抗原が存在しなかったために選択的励起という方法はほとんど存在しなかった。しかし,すでに述べたように自由電子レーザーを用いれば,幅広い波長域において選択的に励起させることが可能となる。しかし,そのメカニズムについては未だ定かではない。
 
 すなわち,今後はフォトンを介してどのようなプロセスが起きているかを明らかにすることが課題といえる。この3年間でようやく自由電子レーザーが使えるレベルになっている。日本では,現在は大阪大学のみであるが,東京理科大学において非常にコンパクトな自由電子レーザーが作られつつある。コンパクト化は産業化・実用化の重要な鍵であり,自由電子レーザーが今後将来性の高い光源となることを期待している。


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