21世紀文明の基礎科学−情報と通信、エネルギーと環境−

熊谷信昭氏 科学技術会議議員
大阪大学名誉教授 熊谷 信昭 氏

はじめに

 まず最初に、このようなテーマを選んだ理由を申し述べておきたい。私は大学を卒業して以来約30年間にわたり、大阪大学において−貫して情報・通信工学の分野の研究と教育に携わってきた。大阪大学総長の任期満了にともない大阪大学を退官した後、請われて新しく創設された(株)原子力安全システム研究所の社長兼所長に就任し、私にとってそれまで殆ど無縁であった原子力発電を中心とする電力・エネルギーの世界に足を踏み入れることになった。また、それとほとんど時を同じくして、国連の中で環境問題を専門的に取り扱う唯一の機関である国連環境計画(United Nations Environment Programme,UNEP)の支援法人地球環境センター(Global Environment Center Foundation)の理事長をつとめることとなった。

 以上のような次第で、結局、情報・通信の世界、電力・エネルギーの世界、そして環境問題の世界という、現在の日本および世界にとって最も重要で、かつ最も大きな関心をもたれている三つの分野すべてにかかわることとなった。
その結果、情報・通信の分野と電力・エネルギーの分野には基本的に共通する点や全く相違する点があること、また、それぞれの分野は相互に密接な関連があること、そしていずれも色々な形で環境問題と深く関連していること、などを改めて再認識し、まことに興味深く思っている。

 21世紀文明の基礎科学としては情報科学、エネルギー科学、物質科学、および生命科学の四つが柱になると考えられているが、本日は、前述のような理由から、現在私が直接かかわっている情報・通信の分野と電力・エネルギーの分野とを比較しつつ、それぞれの分野における現在の動向と将来の課題、および環境問題との関連などについて私見を申し述べたいと思う。
 

1.情報・通信技術の発展とその特徴

  20世紀において広く科学技術の基礎として物理学や化学が果たしてきたような役割を、21世紀には「情報学」が果たすようになるであろうといわれている。「情報学」(インフォーマティクス)というのはまだその厳密な定義も学問体系としての内容も確立されたものではないが、いずれにしてもその主要な柱をなす情報と通信に関する学問と技術は、21世紀において、単に科学技術のみならず、人間社会のあらゆる分野の活動に必要不可欠のものとして直接的・間接的にかかわりをもってくるであろうと考えられている。

 そのような観点から、わが国でも、人文・社会科学系の分野まで包含した新しい「情報学」の構築を目指す「国立情報学研究所」(National lnstitute oflnformatics)(いずれも仮称)を創設する動さが現在国レベルで具体的に進められている。

 そこで、本日はまず、どのような分野の方々にとってもいまや決して無関係ではあり得なくなった、21世紀文明の基礎科学ともいわれる情報と通信について、その特質と現在の動向、および今後の課題などからお話し申し上げる。
 皆さん方よくご存じのように、ここ数年来、「ニューメディア」とか「高度情報社会」とか「マルチメディア」というような言葉を見たり聞いたりしない日はないというような状況が続いている。

 なぜそんなことが、かくも盛んに言われるようになったのかということについて、社会評論家や文明批評家はよく次のような説明をする。すなわち、「それは、人々が、最近になって情報の重要性というものを認識し始め、情報の価値を認めるようなり、また情報がビジネスや金儲けの対象にもなるようになってきたからである。」というような説明がよく行われている。そういう解説を聞くと、−瞬「なるほど」という気がするが、実はそうではないのである。


 人間は、太古の昔から情報の重要性というものをよく認識し、常に情報を求め、情報を記録・蓄積したり、伝送・伝達したりする手段をいろいろと工夫・改善し続けてきたのである。
 実際、情報を伝える通信手段も、大昔の狼煙や太鼓や伝令から、伝書鳩を使うようになり、手旗信号や郵便制度というようなものが考案され、電信が発明され、電話へと進み、ラジオが現れ、テレビが出現し、・・・というふうに、常に工夫・改善が続けられてきたのである。

 つまり、人類は昔から、おそらく人間の歴史始まって以来今日まで、常に情報化社会を目指して進んできたのだということができる。そして、その時代、時代に、それぞれの時代のニューメディアというものがあったのである。これが最初に申し上げておきたい第一の点である。


 次に、第二に申し上げておきたいことは、人間社会における情報化の大さな特徴の一つは、新しいメディアが生まれてきても、それまでにあった既存のメディアが消えてなくなってしまったというためしはなく、常に新しいメディアがそれまでのメディアにつけ加わって、メディアがマルチ化しながら進んできたということである。
 例えば電話が現れても、それまでの電信や電報は消えてなくなったわけではなく、現在でもなおそのまま続いている。また、ラジオが普及し始めた時には「もうこれで新聞はなくなってしまうであろう」というよう論評が沢山あったが決してそうはならなかった。
 大正時代に、当時の映像情報の画期的なニューメディアであった活動写真、すなわち映画が登場し、大変な勢いで盛んになっていくのをみて、文芸春秋社長の菊池寛は大いに動揺し、「もう小説の時代は終った。これからは活動写真の時代だ」といって行末を嘆いたというような話もあるが、これももちろんそうはならなかった。

 このように、人間社会における情報化の進展は、新しいメディアが生まれるたびに、新しく誕生したニューメディアがそれまでの既存のメディアにつけ加わって、常にマルチメディア化の方向に向かって進んできたのである。すなわち、マルチメディアというのも、何も最近になって初めて始まったものではないのであって、むしろ逆に、これまでの情報通信というのは常にマルチメディアとして発展してきたのである。これが、これまでの情報化の発展の特徹として申し上げておきたい第二の点である。

 それでは、なぜ、最近になって「情報化社会」とか、「ニューメディア」とか、さらには「マルチメディア」というようなことが「改めて」言われるようになったのかというと、それは全く技術的要因によるのである。つまり、情報を扱う技術が、最近になって、歴史上かつてなかったほどの、まさに劇的といってもよいような画期的な進歩を遂げたことが、世にいう「高度情報社全」とか「マルチメディア時代」というような新しい言葉を「改めて」生み出したのである。

 では、そのような「高度情報社会」とか「マルチメディア時代」の到来に決定的な役割を果たしつつある情報を扱う技術の進歩というのは具体的には何かというと、それには二つある。皆様よくご承知のように、一つはコンピュータの技術の進歩であり、もう一つは通信の技術の進歩である。さらに具体的にいうと、大規模集積回路(LSI)技術、光ファイバー通信技術、衛星通信技術、およびディジタル技術の四つである。他にも色々あるが、要約すれば代表的なものはこの四つである。そして、これらの技術の劇的ともいえる画期的な進歩とその結合が現在の急速な高度情報社会実現の原動力となっているのである。特に大規模集積回賭(LSI)の発明ぐらい、その後のエレクトロニクス技術、ひいては現在の科学技術全般に決定的な影響を与えたものは他にはないといってよい。まさに、今世紀最大の発明といってよいであろう。

 このように、情報化の進展というのは、これまでも、そして現在も、常に技術の進歩によって先導されてきたのである。すなわち、情報化の特徴として申し上げておきたい第三の点は、情報化の進展はハード、すなわち技術の進歩が決め手である、ということである。
 

2.新しい情報・通信分野の潮流

以上のような結果、最近になって、これまで長く続いてさた情報通信の歴史に画期的ともいえる大きな変化が生まれつつある。
 その一つは、「マルチメディア」から「ユニメディア」への動きである。すなわち、これまで様々な情報通信媒体がそれぞれ独立して併存するマルチメディア化の方向に進んできた情報化が、今度は出来るだけ一つのメディアに統合される方向に向かって動いているということである。例えば、これまで電話、ラジオ、テレビ、ファックス、パソコン、データ通信等々とそれぞれに分離し、独立して併存してきた多くのメディアを、その伝送も端末も出来るだけ単一の伝送メディア、単一の情報端末機にまとめて一元化してしまおうというのが現在の動向なのである。

 従って、この動さを巷間いわれるように、マルチメディア化というのは実は言葉が全く逆なのであって、マルチメディアを統合し、一元化しようというわけであるから、「インテグレイテッドメディア」とか、あるいは「ユニファイドメディア」への動き、すなわち「ユニメディア」化というのが実体を正しく表現しているということになるわけである。これまで全く別個の、分離したメディアであった通信と放送の融合・一体化が進みつつあることなども全くこの「ユニメディア」化の流れの典型例なのである。

 「マルチメディア」などという、定義がはっきりせず、意味も曖昧で、しかも実体を正しく表現するどころか−般の人々に誤解を与えるような誤った「はやりことば」が蔓延している結果、色々なところで無用の混乱を生じているのである。このような状況に対して、アメリカ政府が数年前に出版したある報告書には「マルチメディアという用語の一般的な使われ方は、そもそも英語として誤りである」ということが書かれているというし、また、ジュネーブにある「世界知的所有権機関」(WIPO) という国際機関が中心となって数年間にわたって行われた検討の結果では、著作権という観点からみると、「マルチメディア」といわれる「物」は決して新しいものではない、ということになっている。

 中国のある専門家は「マルチメディアとは、色々な料理が盛られた中華料理の前菜のようなもの」であって「大きな皿が発明されて色々な料理を一つの皿に盛ることができるようになっただけで、中華料理には違いなく、新しいものではない」と非常に分かりやすい説明をしているそうであるが、こうした認識が世界共通のものとなってきており、著作権の世界で法律的な議論をするときには、「マルチメディア」という用語は、議論の混乱を防ぐ観点から、使われなくなっているということである。このように、著作権の世界では、すでに「マルチメディア」という言葉は「死語」になりつつあるのである。(文化庁国際著作権課長 岡本 薫著「マルチメディア時代の著作権」)

 もう一つの新しい動向は光通信の再登場である。そもそも通信の歴史というものを振り返ってみると、人類が最初に行った通信というのは実は光通信だったのである。例えば、狼煙を上げて敵の襲来を味方に知らせるというような類のものがそれである。こういう、人間が目で見て行う光通信というのは、もちろん紀元前から何千年にもわたって行われていたと考えられているが、こういう、人間が目で見て行う、いわゆる光通信というものが今から約150年余り前に、突然通信の表舞台から姿を消すことになった。モールスが電信機を発明したからである。


 こうして、モールスの電信機の発明以来現在まで、約一世紀半にわたって電気通信の全盛期が続いてきたのである。
 ところが、1960年(昭和35年)に電波の発振器に相当する光の発振器であるレーザーが発明されたのが端緒となって、最近、再び光通信が昔日の姿を一新して通信技術の最先端に再登場してさた。

 現在の光通信というのは、要するに髪の毛ぐらいの細さのガラスの繊維、すなわちガラスファイバーの中にレーザー光を通して、大量の情報を送るという画期的な通信方式である。この光ファイバーには、たくさんの信じ難いような勝れた特色がある。

 その一つは、これまでのいかなる通信線路に比べてもその伝送損失が段違いに少ないということである。現在、上等のガラスファイバーを使うと、大体数10kmから100kmぐらいは中継所なしで通信ができる。通信技術の専門でない方は、そんなものかと思われるかもしれないが、これは大変なことなのである。現在、世界中の通信会社が実際に広く使っている同軸ケーブルという一番上等の通信ケーブルでも大体1.5kmぐらいが通信できる限度なのである。つまり、1.5kmおきぐらいに、必ず中継器あるいは中継所がないとだめなのである。それに対して、今の光ファイバーは、数10kmから100kmぐらいは中継器なしで通信ができる。将来はもっと長距離を無中継で送れるファイバーが出来る可能性もある。ガラスというのは本来絶縁物で、電気信号を全く通さない絶縁物として使われていたものであるから、それを最も損失の少ない通信線路にしたというのは、考えてみると、本当に画期的なことであったと言ってよい。


 光ファイバーがもつもう一つの大きな特色、ある意味では最大の特色は、送れる情報量が今までのいかなる通信ケーブルと比べても桁違いに多いということである。原理的には、一本の光ファイバーで、電話なら数千万回線とか一億回線というような膨大な情報量を一度に送ることができる能力をもっている。
従って、電話はもちろん、何100チャンネルの丁∨(画像)でも文字でもデータでも、あらゆる種類の情報を一本の光ファイバーによって一度に送ることができるわけで、これが前述のいわゆる「マルチメディア」、すなわち私のいう「ユニメディア」が実現可能となった重要なキーテクノロジーの一つとなっているのである。

 また、先ほど、光ファイバーは髪の毛ぐらいの細さといったが、実際に光が通る部分の直径は1,000分の数ミリメートルで、従来のいかなる通信ケーブルと比べてみても、その断面積は桁違いに小さい。一本でも大量の情報が送れるわけであるが、もしそれでも足りないということなら、何本か束ねても問題にならないぐらいの細さで、スペース的にも、これほど優れた通信ケーブルはいまだかつて存在しなかった。

 また、ガラスの比重は銅の約4分の1で、銅に比べれば大変軽いので、ケーブルにしても従来の銅線でできた通信ケーブルに比べるとその取扱いが非常に楽だという実用上の利点もある。

 そのうえ、ガラスは、前述のように絶縁物であるから、電波障害であるとか、電磁誘導障害というようなものが全くない。これも、技術的には非常に大きなメリットなのである。

 また、そんなに細いものだったら機械的に弱いのではないかと思われるかもしれないが、光ファイバーは実用上十分な可撓性を持っており、非常に小さな曲率半径まで曲げることができるし、また、例えば引っ張りに対してはピアノ線よりもはるかに強いという、信じ難いような性質も持っている。

 さらに、資源的にも、銅というのはどんどん枯渇していっており、そのうち無くなってしまうだろうと言われているが、ガラスの原材料は地球上に十分、かつ偏在することなく存在するので、長期的に見て、資源的にも大変有利なわけである。

 普通、技術というものは、一つか二つ素晴らしい特長があっても、同時に欠点もいくつかあるというのが通常なのであるが、この光ファイバーだけは、非常にたくさんの、それもその一つ一つが桁違いに優れた特長を持っていて、しかも欠点らしい欠点はほとんど見当たらないという、まれにみる技術なのである。光ファイバーこそ、まさに文字通りニューメディアとよばれるにふさわしい画期的な通信媒体であるといってよいのではないかと思う。

 そういうわけで、このような数々の優れた特性をもつ光ファイバーを使って、最新の高速・大容量の通信ネットワークを構築しようという努力が、現在、日本でも諸外国でも行われているわけである。 NTTは2010年から2015年頃までには全家庭まで光ファイバーを引く計画だと言っている。

 もう一つの大きな流れは携帯電話の驚異的な普及に代表される、いわゆるモバイル化への流れである。これまでの通信が主として固定端末間の通信であったのに対して、送受信端末の双方または少なくとも一方が移動していても通信可能な移動通信、すなわちモバイルコミュニケーションが主流となりつつあるということである。実際、今年(1999年)4月末で自動車電話を含む携帯電話の加入台数は4245万7000台(P H Sは579万1000台)となり、今や国民の3人に1人が携帯電話などのモバイル端末機を利用している。モバイル化の傾向は過去3年間連続して年間1000万台以上増え続けている携帯電話の急増と公衆電話の利用者減少が予想以上の速さで進みつつあることにも端的に現れている。


 モバイルコミュニケーションに関する最も最近の話題として、アメリカのモトローラ社によって昨年(1998年)の11月から開始された「イリジウム」とよばれる実に気宇壮大なグローバル衛星移動体通信サービスについて簡単にご紹介しよう。
 ご承知のように、これまでの衛星通信は赤道上空約3万6000Kmの高さにあって地球の自転と同期しながら24時間かかって地球のまわりを1周し、従って地球上から見ればいつも同じ所に止まっているように見えるいわゆる静止衛星とよばれる通信衛星を使って行われていたが、「イリジウム」では南極と北極の上を通って地球をとりまく高度780Kmの6本の低い軌道上のそれぞれに11個づつの移動衛星を配置した合計66個の通信衛星によって全地球をカバーする通信ネットワークを構成し、地球上のどこからでも携帯電話がかけられるようにしたものである。「イリジウム」という名称は、この通信システムが計画された当初の衛星の数が77個で、その77という数がイリジウムという金属元素の原子番号であることから名付けられたものである。

 このようにして、例えば南極やヒマラセの山頂からでも、サハラ砂漠や太平洋の真ん中を移動中でも、地球上の任意の場所から他の任意の場所にいる相手といつでも話ができるような移動通信サービスが実際に営業を始めているのである。そのキャッチフレーズは「通話エリアは地球です」というコマーシャルで皆様よくご存知の通りである。

 そして、もう一つの大さな動向が皆様もよくご存知のディジタル化への流れである。そもそも通信の歴史を振り返ってみると、人類が行った初期の通信は、狼煙やモールスの電信機のように、情報を光の点滅や電流の断続、あるいは煙のある・なしというような断続的な符号に変換して伝える、いわゆるディジタル方式で行っていたのである。
 それが、ベルの電話の発明以来、信号の強弱や変化、例えば電話でいうと音の変化・強弱を、それに比例した、すなわちアナロガウスな電流や電波の変化に変えて送るという、いわゆるアナログ方式になったのである。そして、この方式は現在まで引さ継がれて、電話はもちろん、ラジオ放送もテレビジョン放送も、これまではほとんどすべてこのアナログ方式によって行われてきたのである。


 ところが、最近、それがまた再びディジタル方式に急速に戻りつつあるのである。現在のディジタル方式というのは、信号の変化、強弱を表わす連続的な波形を、そのまま、それと比例した電流や電波の変化に変えて送るのではなくて、信号の変化を表わす連続的な波形を適当な間隔で切り出して、切り出したところの値だけを計り、その値を2進法で、つまり0と1とで表わして、パルスのある・なしに変換して送るというのが現在のディジタル方式とよばれているものなのである。

 なぜ、今さらそのようなディジタル方式に変えるのかというと、この方式はアナログ方式とくらべて非常に良い特長をいくつも持っているからなのである。

 例えば、アナログ方式にくらべて雑音に強いとか、適当な工夫を加えることによってチャヤンネル数を増やすことがでさるようになるとか、あるいは守秘性に勝れているというような利点があるが、中でもディジタル方式のもつ最大の特長は次の二つである。

 すなわち、第一は、パルスのある・なしの組み合わせで、2進法的に通信を行う方式なので、同じように2進法で動作している現在のコンビュ一夕との整合性が非常にいいわけである。ある意味で、ディジタル方式とアナログ方式の違いはコンピュータを使えるか使えないかの違いであるといってもよい。高度情報社会というのは、要するにたくさんのコンピュータ、すなわち情報処理装置が通信ネットワークで結ばれているシステムであるから、2進法で動作しているコンピュータ、すなわちディジタル情報端末装置と、2進法的なディジタル通信回線とのインターフェイスにおける整合性が非常によくなるというのは決定的な利点なのである。

 第二は、音声とか、画像とか、文字とか、データというようないろんな種類の情報を、全部パルスのある・なしという符号に分解して送る方式なので、あらゆる種類の情報を全部一つの伝送路、一つのメディアで一元的に送れるようになり、また受けた情報を一つのディジタル端末機で自由に組み合わせたり関連させたりすることも可能になるということである。
 実は、この二つが、現在いわれているところのいわゆる「マルチメディア」、すなわち前述の「ユニメディア」が実現可能となった一番のキーポイントなのである。こういうことが可能になったのも結局は全ての技LSI術の進歩のお蔭である。

 こういうわけで、現在、日本はもちろんのこと、諸外国でもディジタル方式による通信システムへの切り替えが世界的に行われるようになってさたのである。
 

3.情報・通信分野の今後の課題

最後に、情報・通信分野における今後の課題のニ、三について触れておく。

 一つは、人文・社会科学系の分野の人達との連携・協力の必要性である。例えば自動翻訳電話の研究・開発は実用的にも技術的にも極めて興味深いテーマであるが、その実現のためには言語学者をはじめとする文科系の専門家の協力が不可欠である。日本語で「親が草葉の蔭で泣いている」という言葉は、英語では「親がお墓で寝返りをうつ」(Your parents turn over in their grave)というそうであるが、このような翻訳は技術者の技術的研究だけでは不可能である。「健全なる精神は健全なる肉体に宿る」(A sound mind in a sound body)というのを機械翻訳させたら「酒もうまいが肉もうまい」(A good spirit in a good meat)となったという笑い話もある。

 もう一つは、「究極の知的機械」である人間の機能を解明し、それに学ぶということである。これが、画期的なコンピュータの開発をはじめ、新しい情報科学技術のブレークスルーをもたらす鍵となるであろうといわれている。
 例えば、ネットワークなどを通じてパソコンやコンピュータに侵入し、データを破壊したり改ざんしたりする有害プログラム、すなわちいわゆるコンピュータウイルスを、生物の免疫機構に範をとった方法で異物として検知し、ウイルスのプログラムを書き換えて無毒化したり、感染したプログラムを消去して正常なプログラムに自動修復するシステムが最近開発されたことなどはその一例である。

 まさに、人間を含めて生物は、科学技術の新しいテーマやアイデアの宝庫であるといえよう。
 一方、逆に、例えば生命科学の分野ではゲノムインフォーマティクスという言葉が、また脳科学の分野ではニューロインフォーマティクスというような言葉が用いられるようになってきている。ゲノムインフォーマティクス、すなわちゲノム情報学というのはゲノムの各種の特性や挙動を統合して、ゲノムに関する全情報の知識体系を構築しようとするものであり、またニューロインフォーマティクスというのは脳神経科学の多様な知見を共通の情報として整理・統合し、その数理モデルを構築することを目指すものであって、いずれもその意図するところは共通している。情報学が21世紀文明の基礎科学と目される所以である。

 世界で最も低騒音の新幹線電車のぞみ500系の実現が成功する決め手となったのは、実はフクロウとカワセミに学んだことにあったのである。すなわち、最大の騒音源となっていた電車の屋根の上にあるパンタグラフの設計に、あらゆる鳥の中で最も静かに飛んで獲物に近づくフクロウの羽根を詳細に検討して、その仕掛けを取り入れたのが世界で最も騒音の低い高速電車のぞみ500系の実現につながったのである。また、もう一つの大さな問題であった、高速列車がトンネルに突入した際に大きな破裂音が発生するいわゆるトンネルドン現象に悩み抜いた技術陣が、最後に気付いたのが空中から水中に捕食のために飛び込むカワセミのくちばしから頭部にかけての形状に学ぶことであった。その結果、一車両の長さが25mの新幹線電車で、先頭の頭の変化部分の長さが15mもある500系の先頭車の形は、カワセミのくちばしから頭部へかけての杉とそっくりになったのである。

 こうして、パンクグラフから発生する大きな騒音と、トンネルドン現象という難問をいずれも解消するとともに、最高時速300kmの500系新幹線電車の走行抵抗をそれよりも遅い最高時速270kmの300系にくらべて約7割に軽滅し、消費電力も300系よりも15%も少なくすることに成功したのである。(元JR西日本総合企画本部技術開発室長、試験実施部長 仲津英治著「自然に学ぶ」)

 このように、脳科学をはじめとする生命科学や生物学と情報通信、さらに一般に工学技術との融合が21世紀における科学技術にとってきわめて重要なポイントになると思われる。新しい科学技術は「自然の知恵に学ぶ」ことが重要である。

 いずれにしても、基本的な方向は、20世紀が機械主体の世紀であったのに対して、21世紀は人間主体の世紀となるであろうということである。そういう意味では、現在の情報通信技術というのは、確かに先端技術ということはできるかもしれないが、しかしまだ決して行さ着くところまで行き着いた成熟した技術とはいえないものが大部分なのである。

 実際、例えば、ワープロなどは相当練習しないとだれでもがすぐに使いこなせるというものではないし、パソコンを前にして良心的な中・高年者がノイローゼになったり、それでも、苦労してやっと何とか使えるようになった頃には、もう次の新しい機種が出てくる、などというのは、まさに技術が成熟していない証拠である。

 例えば、ワープロというようなものは、その前に立って、ポケットに両手を突っ込んだまま、ただしゃべるだけで、たちまち文字となって現れてくるようにならなければいけない。人間には何の熟練も求められない。これこそ人間主体のワープロの成熟した姿である。そういう意味では、現在の情報通信技術というのは未だ発展途上にある、いわば発展途上技術であるといってよい。  

4.情報・通信の世界からみた電力およぴエネルギーの特徴

次に、電力およびエネルギーの世界を、情報・通信の世界と対比しながら眺めてみると、この二つの分野の間には基本的に共通する点や全く相違する点があることに改めて気付く。

 まず、第一の大きな相違点は、情報・通信の場合は出来るだけ広域的な、基本的にはグローバルななネットワークの形成が必須の要件であるのに対して、電力・エネルギーの場合は本質的に個別・分散型でよいということである。例えば電話の場合でいうと、電話というのは一つの電話機が世界中の他の任意の電話機と接続可能なネットワークが形成されていなければ殆ど意味がないのに対して、電力・エネルギーの場合には「うちは自家発電でやる」といえばそれはそれで基本的には何の不都合もないわけで、電力会社の電力綱につながっていなければ意味がないというような理由は全くない。ましてや、世界中のあらゆる電力綱が互いに接続されていなければ意味がないというような必然性など全くない。そのため、電力・エネルギーの世界ではグローバルな電力ネットワークの構築というような視点や発想がもともと全く存在しない。これが、情報・通信の分野と電力・エネルギーの分野とをシステムとしてみた場合の最も際立った相違点である。


 第二に、その結果、「標準化」、「国際化」というような点で、この二つの分野の間に非常に大きな相違が現れている。情報・通信の場合には、例えば電話を例にとれば、世界中が全く同じ規格、同じ特性の送受話器、中継器、通信ケーブルなどを使わないとネットワークが組めないのに対して、電力・エネルギーの場合には、そもそも最初の応用が照明への応用と熱の利用から始まったこともあって、標準化の必要性が低かったために、例えば商用電力の周波数や電圧なども国毎、地域毎にバラバラで、電源のコンセントーつにしても国毎、地域毎に異なっていることは皆様よくご承知の通りである。

 第三に感じることは、取り扱うタイムスケールの著しい相違である。例えば、現在、電力の世界で最も重要な、かつ差し迫った課題となっているものの一つに、原子力発電に伴って発生する放射性廃棄物の処理・処分の問題がある。我が国でも、国としての最終的な方針を決定するために、政府の原子力委員会の中に「原子力パックエンド対策専門部会」が設けられ、検討が行われている。
私は今その部会の部会長をつとめているが、そこで議論されている高レベル放射性廃棄物の処理・処分の問題などは1000年後、2000年後、さらには一万年後、十万年後にはどうなる、というような話をしている。処分すべき放射性廃棄物に含まれる核種の中には、その半減期が長いものでは100万年とか200万年に及ぶものまであるからである。それに対して、現在、情報・通信やエレクトロニクスの世界で取り扱っているタイムスケールというのはナノ秒とかピコ秒、すなわち109秒(10億分の1秒)とか1012秒(1兆分の1秒)というようなオーダーはごく普通であって、周波数なども光通信の場合などはテラヘルツ、すなわち1012ヘルツ(1兆ヘルツ)以上の周波数をごく日常的に取り扱っている。電力の場合の50ヘルツとか60ヘルツとくらべると1兆倍以上の速さである。このように、情報・通信の分野と電力・エネルギーの分野とでは、取り扱うタイムスケールが文字通り桁違いに違っている。
 
 第四は蓄積できる情報量と電力量の桁違いの差である。例えば、電池の場合、電気自動車を例に取ると、現在の自動車用電池の平均的な大きさである約8000cm3(40cmx20cmxlOcm程度)の電池を26個搭載した乗用車が約8時間を要する1回の充電で実際に走行可能な距離はたかだか70km程度、同様の電池を36個搭載したパス、トラックでは1充電当たり僅か30km程度に過ぎない。大量のエネルギーを電力の形で蓄える有効な手段はいまだに存在せず、実用されている有効な方法としては、夜間の電力によって水をダムにくみ上げて、水の形で電力を蓄積する揚水発電ぐらいしかない。それに対して情報・通信の場合には、例えば64メガビットのダイナミックメモリー(D−RAM:Dynamic Random Access Memory)の場合、半導体チップ部分の大きさが僅か10mm×20mm角程度の微小な記憶素子に、かな・漢字で約400万字、英文字ならば約800万字の情報を記憶・蓄積することができる。電池の大ささとその僅かな蓄積電気量とくらべてみれば、その差はやはり桁違いである。


 五番目に、その他の大きな違いとしては、両者の進歩・変化の速さの違いがあげられる。例えば、コンピュータについていえば、1970年代から80年代にかけて、10年間ぐらいの間に、性能が同じだとすると、価格は一年で半分ずつに下がってきた勘定になる。値段が−年で半額になると10年間で1、000分の1以下に値段が下がることになる。
 従って、その社会的なインパクトも非常に大きなものがあるわけで、例えば、今、日本製のかなり上等の乗用車の新車は2〜300万円ぐらいするが、これが、あっという間に値投が1、000分の1になって、1台2〜3、000円で買えるようになったらどうなるか。お正月に子供にお年玉だといって5、000円やったら、町へ散歩に出ていって、漫画の本かお菓子を買った釣り銭で、「ちょっといい新車があったから買ってきた」というようなことになったら、世の中は大混乱である。つまり、コンピュータの進歩というのは、それぐらいの、一般の方々にはちょっと想像できないぐらいのきわめて大さなインパクトを社会のあらゆる面に与えているのである。

 ここ30年位の間にコンピュータの大きさ、価格、消費電力などはすべて1、000分の1程度に下がり、一方、処理速度のほうは1、000倍程度に上がっている。これも全てLSIの技術の進歩のお蔭である。エレクトロニクスの世界では独創的な新製品が「独走性」を保てるのはせいぜい3ヶ月から半年位とされているが、このような進歩・変化の速さを例えば電力・エネルギーの分野における発電機の効率の向上等とくらべてみればその差は余りにも大きい。  

5.電力およびエネルギーの今後の課題

 以上、主として情報・通信の分野と電力・エネルギーの分野の相違点についてみてきたが、しかし一方、電力・エネルギーの分野と情報・通信の分野の類似性が高まりつつある部分も見受けられる。例えば、各種のデータベースなどを含む分散処理型コンピュータをネットワーク化することによって、多様な情報の受・発信を個人レベルで自由に制御する「情報のユニメディア化」がインターネットなどとして急成長したのと同様に、IPPなどを含む各種の発電方式による個別・分散型電源を電力網と接続して、多様な電力の受・発電を個人レベルで自由に制御する「電力のユニメディア化」が進みつつあることなどはその一例である。

 電力・エネルギーの分野における当面の大さな課題は、電力・エネルギー需要の増大に対する対応とCO2などの温室効果ガスの排出量削減問題との調和をはかることなどである。
 特に日本の場合、欧米諸国にくらべて割高であるとされている電気料金の引さ下げ要求に関連する電力負荷率の平準化と、エネルギー資瀬のセキュリティに関連する核燃料リサイクルの問題が重要な課題となっている。
 電力の負荷率(Load Factor)というのは発電設備の稼働状況を示す指標であって、負荷率が高い程、設備が効率的に稼働していることを表すことになるが、欧米諸国の年負荷率が大体60%台から70%程度であるのに対して近年の日本の場合は50%台と低く、これが日本の電気料金が欧米諸国の電気料金とくらべて割高となる主要な要因の一つであると考えられている。


 電力需要は季節や時間帯によって変動し、欧米の場合にはそのピークが比較的期間の長い冬季に現れ、暖房用需要が他のエネルギー源に代替可能であるのに対して、日本の場合にはそのピークが夏のきわめて短い期間に集中的に現れるため、電力の供給責任を負う電力会社はピーク時の最大電力需要にも対応できる電力設備を建設しなければならず、その結果、年間を平均した年負荷率が低下し、発電コストが比較的割高となる原因の一つとなっている。

 従って、このような電力負荷を平準化して年負荷率を向上し、発電設備の効率的な稼働をはかることが電気料金引下げのための主要な鍵の−つとなる。そのための色々な対策が考えられており」例えば昭和33年に電力各社の協調によって電力の融通を行う広域運営制度が確立され、電力各社の電力需給の安定と電力コストの低減に寄与している。
 また、操業日や操業時間を計画的にずらすなど、常用家と電力会社が協力してピークシフトを行い、効率的な需給対策に取り組む「デマンド・サイド・マネージメント」(DSM)なども進められているが、10年以上前から行われているアメリカの DSM のように、ピーク時には一方的、強制的に送電を停止するというようなことは日本ではでさないので、我が国の一般家庭の冷房用電力までも含めた DSM にはやはり限界がある。


 今後の長期的な課題の一つとして考えられるのはグローパルな電力ネットワーク構築の検討である。前述のように、電力の分野ではこれまでグローバルな電力ネットワークの構築という観念が殆んど存在せず、電力連携も近隣の国・地域間に限られていたが、これを多国間にまたがるグローバルな広域連携に拡大すれば、季節の違い、時間の差、昼夜の別などによって電力需要の世界的な平準化が行われる可能性がある。

 周囲を海に囲まれた日本のような場合、国際間の電力ネットワークを構築するためには大容量の長距離海底電力ケーブルの開発が不可欠となる。現在、海底送電ケーブルとして世界最長のものはスウェーデンとドイツを結ぶ送電距離250km(送電電圧45万Volt)の海底送電ケーブルであり、世界最大容量のものは関西電力が建設中で完成間近な徳島一和歌山間の紀伊水道をまたぐ50万Volt(送電距離約50km)の海底送電ケーブルである。いずれも直流送電である。

 日本から朝鮮半島までの距離は約250km、中国までは約1000kmあるので、送電電圧50万Volt、送電距離1000km程度の直流海底ケーブルを開発する必要がある。アラスカから千島列島を通って北海道へというルートも考えられるが、いずれにしてもこのような高電圧、大容量の長距離直流海底送電ケーブルと大電力用の交直変換機を実用可能なコストで実現する技術開発が鍵となるであろう。

 しかし、このようなグローパルな電力ネットワークの構築というのは、技術的な問題の解決だけではすまず、全世界的な規模で国際関係が政治的・軍事的に安定しているということが基本的な大前提となる。従って、将来、理想的な世界国家でも実現しない限り、国際紛争が絶えないような現状では、特に我が国のように孤立した島国では、自国の電力は自前で供給可能な方策をとらざるを得ない。

 そういう意味では、我が国にとって電力・エネルギーの問題は情報化と同様、あるいはそれ以上に重要な国家的課題であるといわねばならない。特に、現在、国内の全発電電力量の約35%に達している原子力発電を今後どうするかという問題は避けて通ることのできない重大な国民的課題である。
原子力発電の将来については、大きく分けて次の三つの選択肢が考えられる。第一は、プルサーマル(プルトニウム・サーマル・リアクター)も含めて、現在の軽水炉型の原子力発電を今後もずっと続けていくという選択である。第二は、高速増殖炉の実用化を目指し、核燃料のリサイクル化をはかるという選択である。第三は、以上のような核分裂型の原子力発電は過渡的なものとみなして、近い将来これらから脱却し、核融合型の原子力発電、すなわち人工太陽熱発電に移行するという選択である。原子力発電を全廃するという道は現状ではこれと同程度の発電能力をもつ代替のエネルギー資源をもたない我が国の場合、現実的な選択肢とはならない。しかし、以上の三つの選択肢には、いずれもそれぞれに長所があると同時に色々な問題点もある。

 しかし、いずれにしても、我が国の場合、1998年9月の時点で、原子炉内で燃焼中の核燃料も含めると、1963年の発電開始以来の合計ですでにガラス固化体(長さ1m34cm、直径43cm)で約12,600本相当の使用済燃料が発生しており、その処理・処分は避けて通ることの出来ない待ったなしの問題である。

 原子力発電所の数や発電電力量が今後も現状のままで推移したとしても、我が国で実際に埋設処理を開始する目途とされている2030年から2040年頃にはガラス固化体で約4万本、21世紀中続けるとすれば来世紀末の2100年頃にはガラス固化体で総計約10万本相当の放射性廃棄物が生ずる。そして、その処分に要する埋設場の容積は4万本の場合で2kmx2km、高さ約5m程度となり、10万本ならその約3倍程度の大きさとなる。
 いずれにしても、我々は原子力発電の将来について以上のようないくつかの選択肢の中から最も賢明な道を選択することを迫られているのである。  

6.情報・通信および電力・エネルギーと環境問題

 電力・エネルギーの分野では、一部でかなり以前から地電流による電蝕の問題などが取り上げられていたが、CO2などの温室効果ガスによる地球温暖化の問題など地球環境問題と関連して盛んに環境問題が議論されるようになったのは比較的最近のことである。それに対して、情報・通信の分野で環境問題が取り上げられるようになったのはそれよりもはるかに以前のことなのである。

 今から100年以上も昔の1895年(明治28年)にグリ工ルモ・マルコーニ(Guglielmo Marconi)が電波を用いた無線通信の実験に成功して間もない頃から、すでに傍受や電波干渉が大きな問題となり、これらに対する対策の研究の必要性と重要性が指摘されていた。世界最大の国際学会である電気電子学会(IEEE,The Institute Of Electrical and Electronics Engineers)に電磁環境問題を専門的に研究する研究専門部会が設けられ、定期的に学会誌が発行されるようになったのも約40年も前の1959年からのことであって、電気・電子機器から発生する不要電磁波による電磁障害の問題などが検討されてさている。

 また、電磁界と生体、中でも人の健康との関連についてはこれまでも多くの研究が行われてきているが、特に最近の日本の場合、携帯電話をはじめ各種の放送・通信用の電波などが飛び交う電磁環境の中で、電磁波の人体への影響、特に小児・子供への影響を懸念する声が出始めており、科学技術庁でも今年度(1999年度)からこの問題を緊急課題として取り上げ、予算をつけて調査・研究を始めることをつい先々月の科学技術会議の政策委員会で決定したところである。

 電力・エネルギーに関連する最近の環境問題は、例えば大気汚染や地球温暖化、あるいは原子力発電にともなう放射性廃棄物の処分問題など、主として物理的・化学的な自然環境にかかわるものが大部分であるのに対して、情報・通信に関連する環境問題というのは、携帯電話などの電子機器からの漏洩電磁波による他の電子機器や人体への影響というような物理的問題の他に、最近の重要な問題として、例えば個人のプライパーの侵害に関する問題や、著作権、知的財産権の問題、情報セキュリティーの問題、さらには倫理や教育上の問題など、人間社全的環境にかかわるものが主要な課題として浮上してきている。特に法制度上の新しい問題などは情報・通信技術の進展にともなって派生してきた新しい課題である。

 一般に、環境問題を議論する場合には、少なくとも二つの基本的な視点をもつことが必要である。一つは、常に問題をシステムとしてとらえ、グローバルな視点も含めてシステム全体を総体的な観点から議論することが必要であるということである。もう一つは、常に技術的な裏付けをともなった科学的な議論でなければならないということである。
 例えば、風力、地熱、太陽光などを利用するいわゆる新エネルギーを考える場合にもCO2の排出量の多寡を論ずるだけではなく、それぞれが生産する電気エネルギーから建設と連用のために投入するエネルギーを差し引いた正味のエネルギー収支など、システム全体について考察する必要がある。

 実際、各種の発電システムについて、その発電システムが生産するエネルギーからその発電システムを建設・運用するために要するエネルギーを差し引いた、実際に社会に供給でさる正味のエネルギーを比較すると、例えば水力発電は原子力、火力発電の約半分、太陽光発電は約7分の1程度となると推定されていることなどを認織していなければならない。
 また、例えば中国−の大河長江(揚子江)の上流の有名な渓谷三峡に巨大なダムを作って水をせき止め、世界最大の水力発電所を造る計画が中国政府によって進められている。水力発電はCO2の排出もなく、その意味では環境を汚染しないクリーンなエネルギー創出法ということになるが、せき止められた水によって上流にできる人工貯水池の長さは東京―大阪間を凌ぐ600kmという長さ、水没する市町村は1400、立ち退きを迫られる住民の総数は200万人といわれ李白の詩などにもよまれた史跡名勝の多くも水没してしまうという。

 そして、この壮大な三峡ダムの水力発電所によって作り出される電力は膨大なものではあるが、しかし高々1720万KWに過ぎない。東京電力柏崎刈羽原子力発電所(定格出力821万2000KW)程度の原子力発電所が二つ程あれば三峡ダムに代り得るのである。それによって、李白の故地も600kmにおよぶ自然の渓呑も残るのである。
 この大プロジェクトの本来の目的が治水・灌漑であるというのであれば話は別であるが、少なくとも発電という点だけからみれば原子力発電にくらべて水力発電の方がより環境保全に適した方法であると簡単に言い切れるものではなく、システム全体として総合的に判断する必要があると思われるのである。

 太陽光発電を堆進しようとしている人達は、しばしば、例えば「130Km四方ぐらいの面積に太陽光発電パネルを敷きつめれば日本中の電力をまかなうことが出来る」というような非現実的な主張をするし、原子力発電の必要性を唱える人達は「太陽光発電によって得られる発電電力は僅かであって、だいいち雨天や夜間には発電出来ない」と批判する。確かに太陽光発電によって得られる電力は僅かなものには違いないし、雨天、曇天や夜間には発電出来ないことも確かではあるが、しかし、電力需要のピークは昼間に到来し、夜間は電力使用量は低下して、いくつかの火力発電所は発電を停止しているのが現状である。特に日本の場合、夏のカンカン照りの昼間に電力需要がピークとなり、この需要に対応するために発電設備が設置され、その結果、先に述べたように電力の負荷率が低下して、発電コストに影響しているのである。従って、夏の昼間のカンカン照りの時に最もよく発電する太陽光発電は電力のピークカットには有効なのであって、夜間には発電する必要はもともとない。日本の場合、真夏時には昼間と夜明け時の電力消費量には2倍以上の差があるのである。トータルの経済性も含めてシステム全体としてのベストミックスを求めることが必要なのである。

 一方、一昨年12月に京都で開催された地球温暖化防止京都会議(COP-3)で合意されたCO2などの温室効果ガスの削減目標なども、1990年度を基準として、2008年から2012年までに例えば日本は−6%、アメリカは一7%、EUは−8%減とすることとなっているが、このような異なる国・地域の間でCO2などの温室効果ガス排出量の1%の差を有意とするためには、少なくとも±0.1%程度以下の精度で客観的かつ定量的に国別・地域別のCO2などの 排出量を計測する具体的な方法がない限り意味をなさない。また、その国や地域の森林がCO2を吸収する量を差し引くいわゆるネット方式の導入にしても、樹木の数、樹木の種類、樹木の年齢(樹齢)によるCO2吸収量の違いも考慮に入れて、世界の各国・各地域について±0.1%程度以下の精度でCO2の吸収量を測定する客観的・具体的な方法が示されない限りほとんどが無意味な議論であるといっても過言ではない。

 現在の環境問題の議論には、このような科学技術的な視点からの議論がきわめて不十分であるといわざるを得ない。例えば、ごく最近の警察庁の調査研究では、自動車からのCO2排出量を減らすために環境庁が提唱したいわゆる「アイドリング・ストップ運動」に従って、信号待ちで停車した時に自動車のエンジンを停止すると、逆にエンジンを止めなかった場合よりもCO2の排出量が増えて逆効果であるという結果が出ている。現実に則した総合的な視点と科学的・定量的根拠にもとずく判断が求められる所以である。

 最後に、環境問題の解決には「グローパルな共生」の概念が必要であることを指摘しておきたい。例として、現在、我が国を含めて原子力発電を行っている国々がどうしても避けて通ることの出来ない当面の重要課題である高レベル放射性廃棄物の処理・処分について考えてみよう。
 人それぞれに容易に出来ることと出来ないこととがあるように、国や地域にも容易に出来ることと出来ないこととがある。これまでの種々の調査・研究の結果によれば、国内に高レベル放射性廃棄物処分の適地を見出すことは十分可能であるとはされているが、しかし、人口密度のきわめて高い我が国で実際に埋設処分場所を決定するということになると、住民の同意を得る必要等もあって容易ではない。

 一方、世界中にはこのような処分場として適しており、しかもこのような目的に使うより他に使い道もないような、人間も殆ど住んでいない広大な土地が方々にある。そのような国・地域は世界の人類全体のために、そのような場所を提供し、そのような場所を処分場として使わせてくれる国には応分の経済的見返りをして共存共栄をはかるというような相互依存、相互扶助のあり方が「グローバルな共生」というものではなかろうか。

 現状では諸外国でも夫々の国に反原発運動の活動家や活動グループが存在し、簡単な話ではないが、エネルギーの資源である石油や天然ガス等が国際的な取引売買、すなわちビジネスとして取り扱われているのと同様に、放射性廃薬物の処分についても国際間のビジネスの対象として取り扱うのがWorld Wideでみて合理的な共生の概念と合致するのではないかと思うのであるがいかがなものであろうか。
 

おわりに

以上、情報・通信の分野と電力・エネルギーの分野とを対比しながら、最近の話題や環境問題との関連などについてお話ししてきた。
 しかし一方、電力・エネルギーと情報・通信とは、互いに他を欠くことのできない、きわめて重要な相補的補完関係にあるということも指摘しておかなければならない。すなわち、電力の分野では系統の保護・運用や設備の監視、制御、保守などに今や情報・通信の技術は不可欠のものとなっているが、同様に、情報・通信の分野でも電力なくしては何の話も始まらないのである。

 実際、いかに光ファイバーを張りめぐらしてみても、光を送っただけでは電話のペルーつ鳴らすことはできない。NTTが現在全国約6000万台の電話機を働かすために各電話機に送っている電力は国内全電力会社の総売電量の0.5%にのぽっている。0.5%というとわずかな量のようであるが、これは実に巨大な電力量であって、NTTは現在、国内最大の電力ユーザーとなっているのである。また、3年前の阪神・淡路大震災の時、兵庫県庁には折角緊急災害時用の衛星通信システムが設置されていたにもかかわらず、地震の影響を受けて自家発電装置が作動せず、結局、役に立たなかったというような事例もある。

 また、現在、爆発的な勢いで普及しつつある携帯電話やノートパソコンなどいわゆるモバイルとよばれるポータブル情報通信機器の最も主要なキーデバイスの一つは電池である。これらのポータブル情報通信機器の小型軽量化と性能向上の決め手となる充電可能な二次電池は10年前にくらべて重量あたりのエネルギーで2倍以上、体積あたりのエネルギーでは約3倍と大幅に向上してはいるが、しかし、まだ現状では最も大きなエネルギーをもつリチウムイオン電池でもノートパソコンで使う場合は2ないし3時間程度しかもたない。いずれにしてもこの二次電池の改良・進歩が今後の情報・通信の大きな流れであるモバイル化の原動力の役割を担っている。そういう意味では「これからの情報化の決め手は電池の進歩である」といっても過言ではない。

 前述のように、20世紀はいわば機械が中心の世紀であったが、来るべさ21世紀はあらゆる意味で人間が主体となり、人間との親和性、および人間の住む自然環境、社会環境との親和性がより良い科学技術がより勝れた科学技術として評価されるようになるはずである。従ってまた、先端科学技術の研究・開発・導入はTechnology Communityのみでは決められないようになるであろう。  そういう意味では、情報・通信の技術も電力・エネルギーの技術も、ともにまだまだ行きつくところまで行きついた成熟した技術とはいえない発展途上の技術が大部分であるということができよう。情報・通信の先端技術も、核燃料のリサイクル技術や核融合の研究などを含む原子力開発や新エネルギーをはじめとする電力・エネルギーの先端技術も、これからいよいよ本当の佳境に入っていくところであるといえるのではないかと思う。  


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