福島事故 文系の見た原子力発電
杉万俊夫
あの時点で「全電源喪失は想定外だった」ことは認めざるを得ないのではないか。1990年代以降、8時間以上の全電源喪失は、原子力安全委員会でも議論されなくなった。問題は、「なぜ想定外になってしまったか」である。
おそらく、産官学を問わず原子力の専門家であれば、全電源喪失の可能性は頭の片隅にはあったはずだ。想定外とされるか否かは、本人が想定外と思っているかよりも、「周りの他の人たちは想定外と思っている」と思うか否かによって規定される。株の売買と同じである。自分が上がると思う株ではなく、周りの人々が上がると信じて飛びつくだろうと思う株を買う。
多くの専門家が互いに「皆、想定外と思っている」と思いあう事態は、極めて構造的である。個人主義に言う「個」が確立していない日本では、上記のメカニズムが欧米よりも強く作動する。しかし、それ自体は、決して欧米よりも日本が劣っていることを意味しない。東日本大震災の後も、避難所で日本人が示す秩序だった行動には、外国から賛辞が送られた。その秩序だった行動は、「周りの人は、自分勝手をしてはいけないと思っている」と、みな思っていたからだろう。
では、避難所と原子力村の違いはどこにあったのか。原子力村という言葉は、しばしば批判の言葉として使われる。しかし、原子力のような特殊な技術を土台とする世界が「村」を形成するのは当然である。むしろ、村のあり方にこそ、問題があったのではないか。村の中に、利害を異にする集団が存在するのも当然だ。しかし、いかに利害が異なっていようとも、村の存続のためには、時として集団同士で激しく意見を戦わせる必要があるだろう。個々の集団が自らの権益だけに捕らわれていたこと、他の集団との関係は、自らの権益を守るためにのみ保持する関係になってしまったこと、そして、自らの権益にとっての村しか考えなくなったこと ---- そこに、「皆、想定外と思っている」と安直に思いあってしまう原因があったのではなかろうか。