以上のように考えると,我が国ではその文化的背景により,欧米流の合理的なリスクアセスメントをそのまま適用しても,なかなか根付きにくいように思われる.そこで本節では,次に日本発祥の学習活動から,自然に欧米流のリスクアセスメント活動が始まるアプローチを紹介することとしたい.
「失敗学」とは,文字通り「失敗に学ぶ」である.失敗学会の発足者である畑村の命名である.この学会では産業災害の実例を収集し,失敗知識の3つの曼荼羅という独特の形式で表現して「失敗知識データベース」をインタネット公開している.8)
失敗学では,産業災害はすべてヒューマンエラーだとして,その原因,行動,結果について,真言密教の曼荼羅になぞらえた分類を図示する.9)
なお,失敗曼荼羅というが,とくにこれを壁に掛けて瞑想し修行すれば悟りに到るものではない.通常の表形式にすれは 表4(a),(b)(c)になる.要するに原因(a),行動(b)および結果(c)においていずれも3層の階層構造に分類したものである.それぞれの失敗事例で,(a)表の項目のいずれかかが原因で,人の行動としては(b)表のいずれかが該当して,結果としては(b)表のいずれかがもたらされた,という形で知識として集積し,これをもとに災害を防止するための教訓を引き出す,というものである.
とくに起こった失敗事例の分析には,3現(現地,現物,現人)主義で当該学会員が災害後の早めに出前で現場に赴き,第3者の立場で失敗事例を分析し,分類して失敗知識データベースに登録し公開する,という社会貢献活動であるのが特徴である.またこの活動で3現主義が活かされるためには,事業組織そのものが学会という第3者との協同の価値を認めて協力することが活動の成否を握っている.
リスクアセスメントとは,まだ起こっていない失敗を予測し,未然防止を安全設計に生かすという趣旨でおこなうものである.従って失敗学とは趣旨が違うが,失敗知識データベースとして集積されている事例は多様な業界,多様な経験に基づき,しかも検索しやすい構成になっている.掲載されている災害事例の分析はそれぞれの分野で実績のある専門学者が整理分類している.具体的な技術システムの安全設計で行うリスク分析やリスクアセスメントでの3つの壁反応への説得策で,とくに②に対する実績,経験の裏づけの観点で失敗知識データベースは利用価値が大きいと思われる.
さて,4.2 で述べたリスクアセスメントへの組織内の3つの壁反応への説得策でその3に,①トップの明確なコミットメントと許容可能なリスクの明確化,②全員参加,③コミュニケーション,④コーポレーションによる安全風土の醸成,⑤社会的責任の認識が上がっている.本節では,その対応として組織の安全文化醸成とリスクアセスメントを結びつけるキーワードとして「組織学習」とその実践を展望する.
(1)組織の安全文化醸成
高野は組織の安全文化を高める4つの視点をコミットメント,コミュニケーション,モチベーション,アウエアネスを上げている.10)そして組織の成員を経営層,管理層,従業員層に階層化して,それぞれのレベルにおける4つの視点での安全文化を高める活動を表5のように例示している.~ そこでこの表のような各レベルでの安全文化向上のための取り組みをどのように組織で展開すればよいのか.これが図9に示すような二重ループの組織学習である(図9では表5中の管理層,従業員層を現場に一括している).現場は既存の枠組みを活かしたままの改善運動でシングルループの学習であり,主に現場に密着した技術的な改善である.一方,経営陣は既存の枠組みそのものを見直す改革でダブルループの探索的学習である.主に戦略・構造・制度の改革である.
(2)「学習する組織による安全文化醸成」の包括的概念モデルの提起
さて(1)に述べたような組織学習は,具体的にどのようにして見出せるのか?そのヒントは,杉万らが進めるエンゲストレームの活動理論11)を下敷きにした,学習する組織の包括的概念モデルである2).
活動理論では,活動の構造を図10のように捉える.そこでは一見個人の行動に見えるものを集合体の活動の一部として把握する.また個人プレイに見えるものをチームプレイの一部として把握する.~図10の意味は,次のとおりである.主体(個人・小集団)は対象に働きかけて結果を得る.主体は集合体(集団)の中で行動する.そこでは集団のルールが作られ,集団の中で分業を図る.また分業で対象に働きかける際に,道具を用いる.道具とは物だけではない.制度のようなソフトも含まれる.
それでは学習活動とはどういうものか.それは既存構造の活動の中から新しい活動の構造が生み出されることである.12)
その契機(トリガー)は集合体にとって外発的な場合も,内発的な場合もありうる.杉万によれば図9のシングルループ改善学習に対応するものとして,日常的組織活動としての業務遂行活動(コミュニケーションや協働のあり方)の工夫改善,業務改善活動(日常ルーチン活動での小さな気づきをコミュニケーションで新たなルーチンとして定着化)として捉え,一方でダブルループの探索的学習として変革活動(従来の活動では想定しなかった新しい前提に立つ活動)を位置づけている.2)
以上のように抽象的に述べたことを,杉万らは図11のような包括的概念モデルとして図示している.杉万らは,現場研究者が組織の現場に訪問したり参与観察したりするフィールド研究で個々のケースの具体的な学習事例を数々見出している.2)
杉万の提起する包括的概念モデルは,フィールド研究で見出した具体的な学習事例を整理しただけのように見えるが,逆に個々の具体的学習事例を多数収集して再利用可能な形式でデータベース化すれば,畑村の失敗知識データベースとは裏返しの成功知識データベースへ発展が期待できる.なお現状の現場研究の方法では仕事のやり方の改善を受身で観察発見するだけである.技術的な改善や制度的改革の創出にまで成功事例を拡大するため企画部門や技術開発部門も巻き込んだ発見的アイデア創出手法やシミュレーション予測を活用する方法への発展を期待したい.
(3)組織学習へのリスクアセスメントの活用
ここでは,図12に示す2つのリスクコミュニケーションを提起したい.
我が国では放射能に対する国民の過剰なまでの心配を背景に,原子力となると途端に社会が異常に神経質になる.これをいくらおかしいといってもそれは根強く,日本固有の歴史的背景を反映する社会的現実である.図12は,社会の受容性が課題となっている原子力組織について次のことを言っている.「原子力組織の中と外では「リスク」の意味が異なる.組織内部では,定量化できる科学的なリスクアセスメントをもとにリスク管理を行う.一方,組織外部では心理的なリスク認知が支配する現実をわきまえて組織内部でのリスク管理の重点の置き方に反映する.
具体的には,設計・評価,運転・保全,防災,社会的受容性のすべての面での管理に組織の各員がリスクアセスメント手法を効果的に活用できるようにする.それには,まずは組織の各成員自らが業務を分担しあい,協働して工夫するようにリスクアセスメント活動全体を構造化し,組織学習の効果を発揮できるような仕組みに編成することが望まれる.