京都大学エネルギー理工学研究所 教授 香山
晃 氏
近年,商業用軽水炉の高経年化が問題となってきているが,このような原子力プラントにおいて構造材料の劣化の程度を見積もることは重要な課題である。とりわけ構造材料の中性子照射損傷による照射脆化やスエリング等の問題は,精力的に研究が進められているものの,強度−微細組織相関のような基礎的な部分においても依然不明な点が多い。この主たる原因は,原子炉照射のデータにおける照射条件の変動や不正確さ,更には照射材料の評価技術の不十分さにあった。
このような問題に対してMeVオーダーの金属イオン照射実験は,照射温度・線量率を始めとする照射条件や照射環境を精密にかつ複雑に制御することが可能であり,また試料が放射化しないという利点のため照射効果の研究に有効な手段である。加速粒子を用いる照射研究は1970年代の米国やヨーロッパ諸国において,80年代にはわが国においても行われてきた。筆者は80年の東大原子力工学研究施設核融合炉ブランケット基礎工学研究施設の400kV+150kV二重ビーム同時照射設備,85年の東大原子力研究総合センター重照射研究施設の1MVタンデム+3.5MVバンデグラフ・二重ビーム同時照射設備の導入等を通してマルチビームを用いる材料照射研究を行ってきた。これらの成果と高度制御中性子照射実験との組み合わせにより,現象の理解と予測精度の向上には顕著なものが見られる。
エネルギー問題を,材料を基盤として解決させる為の学問体系がエネルギー材料科学であり,最近の活動には瞠目すべき事が多い。中でも,エネルギー粒子を利用する材料科学研究では,幅広いエネルギー領域への展開が見られ,化学反応で関与するエネルギー領域(eVオーダー)から核物理学で取り扱うエネルギー領域(GeVオーダー)において,多様な材料改質・創製やキャラクタリゼーションが行われている。
特に,KeVからMeVオーダーでの比較的低エネルギーの加速粒子を用いるマルチビームでの研究は,超高圧電子顕微鏡へのイオンビームの導入なども含め幅広く行われて来ており,加速器の性能向上によるビーム制御性の向上やビーム強度の向上,関連する計測器システムの高度化等によって高度な解析に耐える高精度のデータが得られるようになりつつある。最近の特徴としては,実験環境の多様化(雰囲気・温度・応力・電磁場など)や変動環境下での"その場実験"の多様化なども挙げられる。これらの新しい研究手法の展開によりもたらされる幾つかの可能性や,現在,実験を行いながら,さらに機能の整備を行いつつある京都大学の新しいマルチビーム研究施設(DuET設備)の概要についても説明を行う。最も基本となる中性子照射材料の評価技術の進展や期待されている先進エネルギー材料の開発の現状と将来や原子炉・核融合炉材料開発研究との関係についても説明を行う。
照射研究の為のマルチビーム研究施設としては,米国のANL, ORNL, BPNL等の国立研究所の二重ビーム照射施設が70年代において多くの成果を挙げた。その後,米国では中性子照射研究への偏重が進んだが,我が国では東大のHIT施設,原研のTIARA施設等が建設され,原子炉照射研究とのリンクにより基礎的な理解を得る上で重要な役割を果たしてきた。これは特に核融合炉材料の研究や,中性子―中性子相関の研究において顕著である。表1は平成11年度から研究に供される京都大学エネルギー理工学研究所のマルチビーム研究施設(DuET Facility)と既存の類似施設との比較を行ったものである。本施設の特徴としては,照射環境の柔軟性が大きく雰囲気制御が出来る事,照射条件の制御・測定精度の優れている事,インビーム計測の多様性を有する事,照射下での多様な応力負荷が可能である事,高温照射の上限が大幅に上昇した事等が挙げられる。これらは原子炉内での多様な状況を模擬でき,新しい材料にも対応出来る事を意味している。
表1:DuET施設と既存関連国内施設との比較
一般的には,原子炉材料の特性予測は原子炉の運転履歴に基づいて行われるが,概数としての照射温度・中性子フラックス・中性子線量・中性子エネルギースペクトル(欠落している場合が多い)・環境(水・ガスの定義程度)が示される程度であり,材料の正確な化学組成・製造履歴の欠落している場合も多い。
これは実炉からのデータのみならず,原子炉を用いる材料照射研究においても程度の差こそあれ同様であった。この問題が真剣に取り扱われたのは,日米協力でのFFTF/MOTA利用照射研究(1987−94)であり,原子炉照射実験における炉の立ち上げ,停止の影響の検討,運転中の出力変動効果の検討などが行われ,照射リグの改良も含めた高度制御照射実験が行われた。
これは現在でもJMTR, HFIR等で行われつつある。これと呼応して,基礎過程の理解の為にHIT施設等で系統的かつ高精度のマルチビーム照射研究が行われた。これにはLOCAの影響の検討,中性子スペクトルの影響・中性子フラックスの影響,これらの変動効果の検討,幾つかの要素が複雑に変動する複雑・変動効果の検討等も含まれている。
これらの結果を受けて,現在進行中の日米協力JUPITER計画では,HFIR・JMTRを用いて複雑・変動効果を原子炉照射で明らかにする研究が進められている。図1は単純照射と実際の炉立ち上げ効果を含めたものとのスエリングの違いを示している。中性子スペクトルの効果はヘリウムや水素生成の違い,固体元素の核変換の違い等として現れ,限定された範囲での中性子照射データは存在するが,実験条件の制御精度の低さが問題となり機構論的な理解に至るのは困難であった。これらはマルチビーム照射研究との協力により大きく進歩しつつある。両者をつなぐ重要な活動が理論・モデリング活動であり,316・304ステンレス鋼やFe-Ni-Crモデル合金等での材料予測予測モデルの完成度は高く,スエリング等の予測精度は極めて高くなってきている。最近はフェライト系鉄鋼材料等への対応も視野に入れた体心立方格子(b.c.c.)を有する金属・合金のモデル構築も進めつつある。
図1:スエリングへの炉立ち上げ効果の影響
物理特性(電磁気特性,熱的特性,弾性等)に関する炉内実験との比較は最近進歩の著しいところではあるが,ここでは強度特性評価について述べる。照射下クリープや照射下疲労については理解の遅れが目立っており,最近の応力負荷下でのマルチービーム照射研究により機構的な理解は大きく進展している。これはDuET施設において重点的に研究される予定である。マルチビームを利用する事の最大の利点は微細組織と変形挙動,ひいては組織−強度相関についての正確な理解が得られる事であり,適当な粒子エネルギーを利用し,同一の試料において連続的に実験条件を変化させ,局所的な強度特性と組織を知る事により相関機構を正確に知る事が可能となる。
従来はビーム照射により導入される照射損傷は試料表面近傍に限られるため,一般に強度変化の評価を行うのは困難とされていた。また,組織観察に関しても,損傷組織の存在する材料で位置を限定して良好な電子顕微鏡観察試料を作成する事は極めて困難であった。これを解決したのがマイクロインデンテーション法(微小な試料体積で強度特性を(擬)非破壊的に評価可能),任意の領域の薄膜化が可能である集束イオンビーム加工装置の利用である。
イオン照射を行ったオーステナイトモデル合金の圧痕直下断面薄膜を作製し,その微細組織を透過電子顕微鏡で観察することにより照射硬化機構の解明を試みた。図2は非照射非照射材及びシングルイオン照射材における微小押込み試験結果である。図3は圧痕直下断面領域のTEM観察を行った結果である。この結果から,イオン照射によって導入された複合欠陥が変形転位の運動を妨げ,硬化をもたらしている事がわかる。また,硬度変化が損傷分布に対応している事もわかる。
図2:照射による硬度変化の検出(例)
図3:Fe-20Ni-15Cr照射材の圧痕下損傷・変形組織
すでに述べたように,新しい技術を用いた照射実験をすることにより,従来では不可能であった速度,精度でデータを得ることが可能となっている。これらのデータを用いれば,材料特性データのない場合の予測も飛躍的に向上し,さらには設計基準の明確化も容易になり過剰な安全実験というものがなくなるといえる。また,ここでは述べなかったが中性子照射技術も近年向上しており,従来のデータと質を異にするものが多く出ている。新材料の開発や実用化の進展は,まだまだ目覚ましいものがあるが,ここで説明したような技術が新しい概念のリアクターとなることを望む次第である。