放射線防護におけるパラダイムシフト
財団法人 体質研究会 理事長 菅原 努 氏
はじめに
放射線防護の観点から,放射線による発がんのしきい値の有無に関する研究は古くからされており,様々な仮説が立てられている。ここでは,放射線発がんのしきい値直線性(LNT)仮説について述べ,これに対抗する最近の話題を紹介することにより,科学的根拠の有無および放射防護体系上のLNT仮説の利点と欠点について述べる。LNTとは,Linear
Non-Thresholdの略であり,低線量の被曝時にしきい値が存在しないとした考え方である。現在の研究の動向は,図1に示すように,大線量及び微量線量の領域での人間への効果を扱っているものが大部分である。
図1:放射線防護において興味深い研究領域
放射線パラダイムの変遷
放射線に関するパラダイムの変遷を時系列に説明する。
- 1950年まで
マンハッタン計画における大規模動物実験のデータから,放射線発がんにはしきい値は存在するとされていた。そのしきい値は,50mR(ミリレントゲン)とされていた。
- 1958年
1958年になると,放射線の影響は遺伝的観点から考慮されるようになった。突然変異の誘発とその生物学的影響から,白血病誘発,寿命短縮,遺伝的影響についてしきい値はないとされ,直線性,蓄積性はあるとされていた。
- 1977年
突然変異の誘発とその生物学的影響から,悪性腫瘍の誘発を重要点とし,しきい値は存在しないとされた。
- 1990年
DNA損傷は突然変異を経て悪性腫瘍に至るということから,極微量でも危険とされた。
- 1992年
低線量放射線と生体防御機構により,「適応応答」については,同意を得たが,LNT仮説については意見が対立した。
- 1993年
近藤宗平著の低レベル放射線の健康影響において,発がんの損傷修復影響に関する仮説が立てられた。
- 1994年
国連科学委員会報告において,適応応答に関し初めてまとめられた。
- 1995年
フランス科学アカデミーにおいて,線量限度を下げるべき根拠がないとし,ICRPを批判した。また,DNA二重鎖切断が残る以上どんな低線量でもリスクがあるという報告がされた。
- 1997年
米国Racine会議において,100mSv以下の被曝の後のがんの増加の証拠がないことについて合意した。IAEAやWHOでは,LNTについて議論を期待するが成果が得られなかった。
- 1998年
NCRPでは,LNTモデルを変える程のデータは見いだせなかった。
- 1999年
BRPS国際会議において,しきい値を100mSv以下にする根拠がないとした。ただし,1mSv以下は無視できる程度であるとされた。
LNT仮説批判の方策
LNT仮説批判の方策としては,以下のことを考慮しなければならない。
- 実験・疫学データ上にしきい値が認められるか
- ホルミシス効果の確証
- 低線量での適応応答の存在
- 初期DNA損傷と最終結果との関連
この中でのホルミシスについては,有名なLuckey博士のデータがある(図2)。図より,横軸に被曝線量,縦軸に反応の度合いをとると,1〜10R(レントゲン)のところに良好な効果を示すピークが存在することが分かり,これをホルミシス効果と呼んでいる。
図2 電離放射線の完全な線量−効果曲線 (零相等点(ZEP)とは,この点においては被検パラメータの検知可能な反応が存在)
発がんにおける太陽紫外線と電離放射線の比較によるLNT批判
太陽紫外線と電離放射線の発がんに及ぼす影響の比較を表1に示す。表より,紫外線は明らかに突然変異と関係しているが,電離放射線にそのような関係が全く見られないことがわかる。
表1:太陽紫外線と電離放射線の発ガンに及ぼす影響
新しいパラダイムの提案
低線量被曝における直線性は,中・高線量域における近似であり,自然放射線とその変動レベルの範囲では,有意のがんの増加はないといえる。発がんに関しては,2つの機構を考える。
- 初期変化が直接がんに結びつく
- 元来の頻度は10-5と低い
- 線量のべき乗に比例する
- 条件によって潜伏期が短縮する
(例)白血病,皮膚がん,小児甲状腺がん
- 初期変化とがんとは直接結びつかない
- 元来の頻度が高い
- 多くの因子(不明のものも含む)の関与する
- 見かけ上線量に比例する
- 機構として遺伝的不安定性が最も有力
(例)固形がん
結言
WeinbergがTrans-sieceとして表現した「要素還元主義を如何に超えるか」が筆者の命題である。国内では,科学技術会議における報告「社会とともに歩む科学技術を目指して」においても,21世紀の科学技術の在り方として知の再構築と新たな体系化を目指すための課題が挙げられている。それらは具体的には
@ 学問の細分化から統合へ
A 新しい学問領域の開拓
B 科学の新しいパラダイムの創出
となっており,今後はこのような考えを中心に議論を進める必要があると考える。
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