共生についての文献 


1.黒川紀章 「新 共生の思想」 


黒川紀章:「共生」という言葉の生みの親

共生の概念
  1. 人間と自然の共生
  2. 芸術と科学 〃
  3. 理性と感性 〃
  4. 伝統と先端技術 〃
  5. 地域性と世界性 〃
  6. 歴史と未来 〃
  7. 世代間 〃
  8. 都市と農村 〃
  9. 海と森 〃
  10. 抽象性と象徴性 〃
  11. 部分と全体 〃
  12. 保守と革新 〃
  13. 開発と保存 〃 「共生」の定義

1.共生とは、対立、矛盾を含みつつ、競争、緊張の中から生まれる新しい創造的な関係
2.共生とは、お互いに対立しながらも、お互いを必要とし、理解しようとするポジティブな関係
3.共生とは、いずれの片方だけでは不可能であった新しい創造を可能にする関係
4.共生とは、お互いの持つ個性や聖域を尊重しつつ、お互いの共通項を広げようとする関係
5.共生とは、与え・与えられる大きな生命系の中に自らの存在を位置づけるもの

「共存」とは
お互いに相手を絶滅させようとする両者が敵対しつつ、破滅を避けて併存している関係
「調和」とは
本質的な対立があるわけではなく、差異のある要素をバランスよく調整する場合
「妥協」とは
利害の対立する両者が特に創造的な新しい関係を作り出す意図もなく、消極的に共通項のみでつくりあげるモラトリアムの関係
1.多様性を許容する時代
2.共生は
  1. 異質な文化、対立する二項、異質な要素、二元的対極の中に存在する聖域を認め、敬意を表明することにより可能になる。聖域があまり広範囲の場合、共生は不可能になる。
  2. 中間領域(共通な場)が存在すること。

2.坂田義教、他 「共生社会の社会学」 

「共生社会」:様々な異質なものの「共存」の承認の上に新しい結合関係の樹立を目指す社会
「共生関係」:お互いの違いを認めあって、生かしあう関係を創出すること   

「共生社会」という概念を共通のキーワードとして、12人の専門家がそれぞれの立場から「個人相互間の共生」、「集団内での共生」、「社会環境との共生」、「地球環境との共生」を論じている。
個人相互間の共生
  1. 現代の若者たちの意識には、異質なものを受け容れるといういわゆる「共生」とは異なり、仲間はずれをおそれるために「群れる」というニューアンスが強い。(上野行良)
  2. 性意識に関するアンケートによると、従来の社会的禁忌意識は少なく、例えばヘアヌード、セックス観、同性愛等をある程度受け入れる意識がある。(坂田義教)が、これは「共生」というより、人は人、自分は自分という、他者に関する無関心に近いように思える。


集団内での共生
  1. 欧米における初歩的な「共生」の考え方を考察し、異文化の人々との「成熟した共生関係」の課題として、他者の視点に立って己を不断に見つめ続けることの必要性を述べている。(宮田正夫)
  2. 女性の教育と社会進出との関係を論じている。(中野和光)
  3. 荒れる学校と教師の悩み、学校教育の在り方を論じ、子供たちを「過剰な管理」から解放することの必要性を述べている。(秦政春)


社会環境との共生

  1. 日本の社会における企業と個人の共生について考察し、日本企業の雇用形態(終身雇用、年功制、企業別組合)及びそれに伴う集団主義と、企業と個人の共生は、我々の労働観を抜きにして語れないと述べている。(井出裕久)
  2. 組織と個人の共生について、歴史的動向として「全体主義→集団主義→個人主義」と「同質性→均質性→異質性」として捉え、新しい共生関係として「個人主義」と「異質性」が交錯するパラダイムとして検討した。(田中豊治)
  3. 「高齢社会」における「共生」について考察し、福祉を仲村優一が指摘した  
    • 受動的措置の福祉から主体的選択利用の福祉へ、
    • 公共行政による画一的サービスから公私協働による多元的供給へ、  
    • 行政の縦割り福祉セクショナリズムから地域における保健・福祉サービスの横断的総合化へ
    • 中央集権的福祉から地方分権的福祉へ
    変えることが必要であると論じている。(大橋慶子)

地球環境との共生
  1. 日本人の国民性、社会的特性から、日本人の国際性は「しかたない国際化」であるとの認識のもとに「国際的共生」のあるべき姿を考察し、日本人の社会性である関係調整機能を生かして、主体性をもった共生関係をを築くべきであると述べている。(穴田義孝)
  2. エコノミックアニマルと呼ばれ、アジアの中で評価がきわめて低い日本人の問題点を論じ、異文化との交流の機会が少なすぎることへの反省と積極的交流(難民問題、経済援助、等)の必要性を述べている。(竹原茂)
  3. 開発と環境破壊を論じ、環境に優しい観光開発の在り方を提案している。(田淵幸親)



3.丸山武志 「オウエンのユートピアと共生社会」   

 オウエンのユートピア思想に関する研究書である。オウエンがアメリカのニューハーモニーという地で「協同村実験」に取り組んだ理由及びそれが失敗に終わった原因を解明すると共に、その実験の意義を考察している。  無私で損得を考えない人間関係単位である「家族」である。オウエンは協同村を「大家族」になぞらえて、人と人、人と自然の「共生社会」構築の実験に取り組んだものである。 しかしこの実験は失敗した。その原因は下記のように様々である。
  1. メンバーが従来の社会制度的体質をもったまま参加したので、利己的でない勤労がなく、相互信頼がなく、活動の統一がなかった。即ち「個人主義」が対立と不和をもたらした。
  2. 労働による交換がスムーズにいかなかった。熟練労働と単純労働、勤勉と怠惰による不和が生じた。
  3. 準備不足、指導者の意見の不一致があった。
  4. オウエンの宗教観に対する批判があった。
  5. 全体を統括する「掟」あるいは「信仰」が欠如していた。


4.シンビオ社会研究会編 京都からの提言「明日のエネルギーと環境」 

 高齢・少子化、環境志向、情報化志向の中での「共生社会」の在り方を考察し、環境負荷を軽減する21世紀のエネルギーシステムについて考察する。高齢化社会では青壮年と高齢者との共生、男女の共生、外国人との共生、環境保護のための自然との共生、またその中での企業の果たすべき役割も課題である。   新しいエネルギー・資源として、バイオマス、天然ガス、原子力発電を提案している。

5.佐和隆光 「市場主義の終焉」

 90年代半ばまで世界及び日本を侵し続けた「市場主義」に終焉を宣したい。理由は、21世紀初めに起こるであろう変化に対して、市場主義改革だけでは対応できないからである。大量生産、大量消費に支えられた工業化社会で有効であった日本型のシステムは、ソフトウェアが主役になるポスト工業化社会では有効ではない。市場主義を超えた第三の道が求められている。具体的には市場主義と反市場主義を止揚する体制である。また、グローバルな市場経済化は、低賃金を求めて生産拠点を先進国から途上国へ移転するとともに、環境問題をも環境規制の緩やかな途上国へ移転させるという問題を引き起こしている。

6.ハーバードビジネス・レビュー 「経営戦略論」  

 競争の激しい中で、企業の戦略構築能力は重要性を増している。本書は「経営戦略論」として、企業戦略を、1.企業能力、2.経営資源、3.多角経営企業の本社の役割、新興市場に対する戦略の在り方について述べ、最後に環境保護の観点からの「持続可能」な企業の経営戦略にとっての環境問題の重要性に言及している。
 持続可能な経済にとって、地球環境の維持は不可欠である。急激な人口増加、新興市場の急速な経済開発により環境問題は社会問題化し、企業の能力を超えているが、一方で、それに対応できるテクノロジーをもつのも企業である。しかし、環境に取り組むことが収益につながるビジネスチャンスとの認識はなく、リスク低減、コストダウンの観点からの取り組みに終わっている。
 環境戦略には3段階がある。
第1段階 
汚染防止:廃棄物、エネルギー使用量を減らす活動であり、ISO14000等が強力な刺激剤になりうる。
第2段階 
プロダクト・スチュワードシップ:製品の全ライフサイクルにおいて環境への影響を最小化する考え方で、製造時の省資源・廃棄物発生削減、使用時の省エネルギー化、廃棄時の回収・再利用のしやすさまでを考えた製品設計をすることである。
第3段階 
クリーン・テクノロジー:既存の製品、テクノロジーを環境面から見直し、持続可能でない場合は新しいもの、テクノロジーに切り替えることである(例えば塩素化合物、農薬・殺虫剤、等)。
 環境戦略は能力開発だけではなく、企業と顧客、サプライヤー、他の企業、等、すべての関係者との強調が重要である。発展途上国における環境負荷を減少するためにも、クリーンテクノロジーの開発は不可欠である。


7.狩俣正雄 「共生社会の支援システム」21世紀企業の新しい役割り   

 個人主義、競争社会では、健常者中心の社会であり、高齢者、障害者等のいわゆる弱者は社会から除外され、保護され、介護される被管理対象として考えられてきた。しかし、高齢者社会を迎えるにあったって、今までのような支援するグループと支援されるグループに明確に区別されたものではなく、共に支え合い、助け合う、いわゆる「共生社会」の構築が必要になった。
 また、従来営利を目的とする企業は支援とは殆ど無関係であったが、今後は多元的価値観の中での企業活動のありかたについての再検討が必要になる。そのためには障害者等、社会参加に何らかの制限のあった人々が暮らしやすく、自立でき、対等に活躍できるための、偏見のないバリアフリー社会(住宅、雇用、教育、まち、交通機関、等)の構築及び障害者雇用の理念やノウハウの確立が不可欠である。 従来の支援は二者関係で行われてきたが、今後は支援をシステムやネットワークとして考えていくことが必要であり、相互に支え合うという考え方が不可欠である。そのためには社会的バリアの他に「心のバリア(障害当事者のバリア、家族のバリア、医師・学者・教師、行政担当者等専門家のバリア及び世間一般のバリア)」対策も必要である。
 異質なものを排除するのでなく、それと「共生」する事の利点は「他者との違いや差異を受け容れ認めることにより、包容力があり寛容で多様性に富む活力ある社会が可能になる」ことである。

8.古沢広佑 「共生社会の論理」  

 第1部では先進工業国を中心にした競争の経済社会に対する反省として、「共生の社会」の必要性を述べ、自然やゆとりを求める国民意識から、消費者と直結した小規模農業が見直されていること、第2部では生命・生態系と近代技術を比較して、近代技術の矛盾、化学薬品の蓄積による有害性を論じ、第3部では産業化した養鶏の問題点と農業養鶏を例として紹介し、自然と共生する技術として山村の生活様式、有機農業(焼畑)について述べ、第4部では生産→流通→消費の関係を考察しながら、巨大な現代農業の問題点と、それに対する解決策の1つとしての有機農業について述べることにより、現代の都会生活における暮らしの変革について考察している。そして社会運動としての協働ネットワークとコープに見られる動きを紹介している。最後に第5部では、現代社会の基礎である科学技術のジレンマ、それにより引き起こされたエコロジー危機と、環境に配慮した地域活動をによるエコロジー自治社会への移行の必要性について論じている。


9.立本成文 「共生のシステムを求めて」−ヌサンタラ世界からの提言−   

 ヌサンタラ(インドネシア語):島々、群島群、アジア群島の南部分   東南アジア島嶼部ヌサンタラの経験に基づいたユートピア論である。ヌサンタラでは二者関係が組織原理である。具体的には個人、制度について次のようなイメージである。
  1. 個人レベルでは、集団の中のアイデンティティでなく、自己のよって立つ根拠を「大地、環境、状況、二者間系にある人々、建物、それら総体を支える場」に求めること。
  2. 制度としては、階層的制度ではなく上下関係が流動的であるような制度、国家機能を最小にするような国家の連合による地域圏であること。   

 第1部ではヌサンタラの人々の生き方を、第2部では国家の状態を報告し、それらをベースに、第3部ではユートピア実現の可能性について、ネットワーキング社会システムの構築、制度に寄生するのでなく共生することの必要性、ネットワークを生かした地域システムの必要性に言及している。


10. 宮内海司 「共生の哲学」 

 科学としての哲学(講壇)といわゆる人生哲学の間に位置する「世界観哲学」を紹介している。「世界観哲学」は自分で考える、広く考える、深く考える、自由に考えることが必要であり、答えは1つではないこと、大切なのは常識を疑うことである、と述べている。
 以下、第1章では哲学とソクラテス、第2章ではシステムの概念と動物の行動と人間の行動の相違、第3章では科学主義システムと神秘主義システムについて、科学的なものは正しいという信念に裏付けられた、経済合理性とそれによりもたらされた環境破壊、人間性の喪失、化学薬品による環境ホルモンについて論じ、第4章では価値観について、客観的価値観と主観的価値観について述べると共に、人間にとっての主観的価値観の大切さを述べている。最後に第5章ではソクラテスの世界観と仏陀の世界観を比較した上で、21世紀の世界観について、物質文化が精神文化を圧倒し、科学主義が神秘主義を凌駕し、客観的価値が主観的価値を駆逐し、物理世界の信号が精神世界の象徴を無化して、世界と人間の多様で深遠な意味を認識できなくなったと述べている。そしてすべての基礎になっている地球環境の重要性、科学は進歩するが人間は進歩しないために環境を破壊してきたとの認識のもとに、21世紀は物質主義から精神主義へ転換し、完全リサイクル型ライフスタイルに変えなければならないと結論付けている。

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